間もなく一週間が経とうとしていますが、先日舞台「高天原叙情詩」を無事終えることが出来ました。
ご来場いただいた皆様、また関係者の皆様、本当にありがとうございましたm(__)m
はい。
久しぶりの公演終わってバタバタしてたらいつの間にか5日も経っていたーーー!!!orz
本当はもっと早く更新するべきだったのですがなんやかんやしているうちにいつの間にか時間が過ぎていました本当にすみませんでしたぁぁぁぁぁあああ
しかし過ぎたことを悔いても仕方ない←
終演直後なら勢いで書いちゃいそうですが、時間がたったからこそ少し落ち着いて今回の公演を振り返ってみたいと思います。
今回出演した
『演劇ユニットfamiliar第8回公演「高天原叙情詩」』
ですが、若林個人としてはもうfamiliar4回目の作品になります。
…半分も出てるのか。そりゃ主宰のブログにもfamiliar常連って書かれるわけだ(笑)
内容としては、現代の女子高生が古代の日本にタイムスリップ?するところから物語が始まります。
ただこの”古代の日本”というのは「古事記」や「日本書紀」のような古代ではなく今回の作品世界オリジナルの古代。
神話もなかなかにファンタジーですが今回の公演も負けず劣らずファンタジーということになります。
「ファンタジー」というのは便利な言葉であると同時に非常に危うい側面も持っています。
”ファンタジーな世界”というのは実際には存在せずお客様は誰も答えを知りません。
誰も答えを知らないからこそ、現実ではありえないことでもなんでも表現することが出来ます。
しかしなんでも表現できる反面、クォリティが低いと一気に作品全体が陳腐になってしまいます。
また実在しない世界だからこそ、そこにある種の”現実味”が必要になります。
現実味があればお客様が共感してくれ、作品の見えない部分についても想像してくれます。
対して現実味がない(クォリティが低い)と、そこにキャラクターの生活が想像できずただ舞台上で派手なことだけやる形だけの演劇になってしまいます。
なんか話がややこしくなってきましたが、要はファンタジーって難しいんです。
でも僕、ファンタジー作品好きなんです。(もちろん現代劇や時代劇も好きですが)
familiarに参加するときは(少なくとも僕が関わった作品は)いつも結構なファンタジー作品なので、毎回この難題に挑戦することになります。
今回僕は”智狐(ちこ)”という古代世界の僧侶でしたが、最初その厚さや重さみたいなものをどうやって表現したらいいかなかなか答えが見つかりませんでした。
しかし実際本番で演じてみて、観てくださったお客様から「すごく合ってましたね!」と言っていただくことが多く、結果としてはうまくいったのかなと思っています。
(そもそも世界が出来た時から成人として生きていたりと設定上より難しい点が多かったのですが…汗)
あとこれは本当に個人的なことなのですが、今回、演劇作品の一つの役をやるというのが多分1年ぶりくらいで、小劇場のちゃんとした舞台でやるのは2年ぶりくらいになります。
ちょっとしたイベントやら落語やら稽古やら配信やらはちょいちょいやっていたのですが、舞台となると自分でも驚くほどのブランクが空いてしまいました。
もともとあまり数多く出演する方ではないのですが、それでもこれだけ空くと自分でわからなくてもいろいろ変わっていたり逆にこれだけ空いても以前同様できることがあったりと多くの発見がありました。
もちろん、反省点の方が多いです。
今回見つけた多くの反省を、これからまた見つめなおし役者として精進していきたいと思います。
…お?
なんかそれっぽくまとまりそう??←
長々と書きましたが、とにかく今回の出演は楽しかったです。
そして改めまして、ご来場いただいた皆様、まことにありがとうございました!m(__)m